世界遺産『飛鳥・藤原』登録を目指す資産群の一つに、飛鳥飛鳥宮跡(あすかきゅうせき)があります。
そこは、以前は【伝飛鳥板蓋宮跡】(でんあすかいたぶきのみやあと)という名称で、地元の人たちからは“いたぶき”と呼ばれていました。
おそらく、現在も“いたぶき”と呼ばれていると思います。

石畳の遺構で、中央の穴の辺りに腰かけて、よくおしゃべりしていました。
もちろんそこが、かつて宮殿があったところ、ということは知っていましたが、正直ただの遊び場でした。
そこが、世界遺産になるとなると、観光客も増え、名前も変わり、なんだか別物のすごいものに見えてきます。
なんたって、「飛鳥宮」ですよ。
「藤原京」「平城京」「平安京」と同じですよ。
何なら現在の御所とも同じですよ。
さてこの飛鳥宮跡、4つの宮殿があった場所とされています。
飛鳥岡本宮、飛鳥板蓋宮、後飛鳥岡本宮、飛鳥浄御原宮です。
現在復元されている石敷広場や大井戸跡は上層の飛鳥浄御原宮のものだそうです。
そして、この飛鳥宮跡こそが、かの大化改新、乙巳の変の舞台となった場所です。
ここから、北へ1Km弱、飛鳥寺の近くに「入鹿の首塚」はあります。
乙巳の変の時に、蘇我入鹿の首が転がったとされる場所です。
飛鳥宮跡から入鹿の首塚の方を向いて、少し上の山を見上げると、そこには当時、蘇我蝦夷の邸宅があったとされる“甘樫丘”(あまがしのおか)があります。
入鹿が殺されたことを知った蝦夷は、屋敷に火を放って自害したと言われています。
甘樫丘に上るのは、少ししんどいですが、こうして見るとこの範囲ですべてが起こったんだなと思います。
散歩コースです。
こういうのって、どこまで本当なのだろうと思わないでもないですが、
首を切られてその首が転がった場所にロマンを求めてはいけないかと思いますが、やはりロマンがあります。
歴史のロマンに浸りながら散歩するのは良いものです。